2019年10月10日に渋谷の東京カルチャーカルチャーにて、AI vs 弁理士 商標対決 イベントが開催されました。
私も大変僭越ながら解説役として登壇させていただきました。
今回のイベントは、「AI vs 弁理士」なんていう中々煽ったタイトルのせいか(?)、予想以上に知財業界の方にご関心を寄せていただいたようです。
AI活用、弁理士について、商標について、みなさんそれぞれの立場でさまざまな感想をお持ちになったと思いますが、私も個人的に、このイベント(エンタメ)を通じて感じていただきたかったことがありましたので、主催者の立場としてではなく、「超個人的」に書いておこうと思います。
ちなみに、イベントのレポートは、当日すばらしい司会進行をしてくださった橋詰 卓司さん(@takujihashizume)がまとめてくださっているので、ぜひそちらを。
Contents
結局 AI ってどうなのか
おそらく、特に知財で食べている方にとっての AI への関心の向けどころは「AI は人間よりすごいのか」や「AI は “使える” のか」といったところがほとんどかと思います。
AI を敵対的に見ているか、味方として見ているかは、まぁどちらもいるでしょうね。という雰囲気です。
今回の対決では、1勝2敗ということで、勝負としては AI 側が負け越した格好でした。
また、「正答率」も約6割程度と、勝敗を脇に置いたとしても、実務の場面でその確率は実用に耐えるのか?という疑問は生まれたでしょう。
私は実際にAI等のシステムを実務で一部活用しているので一応「体感」として言えるのですが、
「丸投げはできないが、自力で実務をこなせる実力がある人の仕事をブーストする力は十分ある」
と感じています。
まず、なぜ丸投げできないか。
正答率の問題でしょうか。
いえ、私は「正答率が低い」というのは本質的な理由ではないと思っています。
つまり、たとえ正答率が100%になったとしても、それによって丸投げできるようになるわけではないと考えているということです。
なぜなら、商標の類否や識別力には、「正答」なんてそもそもないと思っているからです。
(イベントでは、エンタメにするために「正答」としていますね)
もちろん、各事件ごとに類否や識別力の結論は実際に出ます。
ただこれは、「事実」というよりも、「それで(関係者が)納得したよ」ということなんですね。
特許庁の審査でも、裁判でも、あるいは交渉や社内調整、クライアントへの説明の場面でも、要するに、まず誰かが「これは〇〇だから類似だよ」と言い始めて、それに対して「うーん、そうかなぁ」とか「いや〇〇だから非類似だよ」とか別の人が言うわけですね。
そのやり取りの結果、「なるほど確かに今回は非類似で納得できるね」みたく落ち着く。
つまり、「正答」ではなく、単なる「納得された結果」に過ぎないわけです。実際には。
そして、「納得」したいのは誰かと言えばもちろん「人」です。今のところ。
では人はどうすれば「納得」するのか。
納得できる「理由」があったときです。
類似だと納得できる理由があれば「類似」ってことにしておく。
識別力なしだと納得できる理由があれば「識別力なし」ってことにしておく。
極論を言えば、全く同じ商標だったとしても、非類似だと納得できる「理由」があれば、非類似になる。
商標は、こういう世界だと思っています。
要するに、類否や識別力判断において、重要なのは「正答(結果)」ではなくて、「理由付け(過程)」です。
だとすると、過去の事件の結果を当てる「クイズ」ならともかく、現在進行形の事件において、「AI がそう判定したから」という「理由付け」で当事者が納得できるのか、させることができるのかというと、少なくとも現時点ではそういう社会にはなっていないでしょう。
なので、実務では、必ず「なぜその結論なのか」という理由が説明できないといけない。
この部分は人間が補わなければいけない。
だから「正答率」が上がっても丸投げできるわけではない。
こう考えています。
次に、なぜ実務者の仕事をブーストできるのか、です。
AI は、今のところ理由付けを生み出すことは難しいですが、過去の傾向を示したり、候補を素早く提示することについては有用です。
これまでは、過去の事例を探したり、アウトプットの作業を毎回ゼロから行ったり。こういうことも人間がやっていたので、毎回の処理に時間がかかることが多かったのですが、
その部分に AI 等のシステムを利用することで、実務者の同じ時間でのアウトプットを大きく増やすことができます。
この場合、無理に急いで処理をしているわけではないので、クオリティも保つことができます。
逆に、人間の「うっかり」(検討漏れなど)を AI 等がバックアップしてくれることもあり得ます。
要するに、実務者がもともと持っている能力を「強調」してくれるようなイメージですね。
逆に、アウトプットを増やす分、実務者の能力が低いと、それを強調してしまうおそれもある。
そういう意味で、やはり AI と人間は、今のところ「かけ算」( AI × 人間)で考えた方がいい。
かけ算なので、AI か人間のどちらかが「足りない」と、アウトプットが低下してしまう。
一方で、双方が切磋琢磨すれば、アウトプットが最大化する。
まぁたぶん、そんな感じだと思います。
弁理士の役割
たとすると、弁理士の役割は何なのか。
先ほど「納得」の話をしましたが、まさにこの「相手を納得させる」というのが弁理士(人間)の役割としてより重要になってくると思っています。
納得させる相手はさまざまです。
クライアント、決裁権者、特許庁、裁判所、係争相手 etc.
結果予測を述べるだけではなく、相手を「納得」させて、あるアクションに導く。
特に、科学的な事実というよりも、人間の「認識」(似てると思うかとか、特徴があると感じるかとか)が問題となる商標の世界では、よりこれが重要だと感じます。
それには、
論理的思考力、感情理解、文章力、コミュニケーション力、他分野への理解、公平性、人望、信用…
さまざまな能力が必要そうです。
身も蓋もない言い方をすれば「人間力」みたいなことでしょうか。
なんだか、「人間の役割は人間力を発揮することだ」みたいなアホみたいな話になりそうでお恥ずかしいですが、実際に AI 等を活用して弁理士業を日々行なっている身としては、現に感じているところではあります。
まとめ
こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、個人的には、AI が弁理士の仕事を代替するかどうかは、結構どっちでもいいと思ってます。
というか、もともと、AI に代替されなかったとしても、A弁理士がB弁理士に代替されることなんて普通なので、何かに代替される弁理士と、代替されにくい弁理士がいるだけです。
また、AI とか他の何かがとても発達して、「弁理士」という名前に価値がなくなったとしても、その時は社会から「弁理士」という名前の人が必要とされなくなったということでしょうから、それはそれでいいんじゃない?と思っています。
ごめんなさい。
いずれにしても、人間としてなんとかやっていけるようこれからも頑張っていきましょうね、というのは変わりませんね。
それはともかく、AI (に限らずテクノロジー)がどんどん進化していくことはとてもおもしろく、ワクワクしますね。見ている人にとっても、開発している人にとっても。
今回のイベントでも、その楽しみを少しでも感じていただけたなら、個人的には嬉しく思います。
「AI vs 弁理士」という構図のエンターテインメントを通じて、「AI × 弁理士(人間)」というかけ算について考える人がどんどん増えたらいいですね。
おしまい。
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